July 12, Discover エスティー ストーリー ブランド ストーリー チャプター1: 美のために生まれて 美を追求し続けて。エスティ ローダーが見つめた「美しさ」とは人気の美容製品を次々に生み出し続けたエスティの人生は、まるで「美」を追求し生きることが運命付けられていたかのよう。彼女はハンガリーの化学者の姪っ子であり、幼い頃から、フェース クリームの製法や使い方を学んでいた。若い頃には女優を目指しステージ上の名声を夢見た彼女。今回は、自身の名をつけたスキンケア製品が世界中に知れ渡るようになるまでの彼女の人生とプライベートの一面を紹介したい。私の年齢?そんなの関係ない。 年齢がなんだっていうの?ニューヨークで生まれたジョーゼフィーン エスター メンツァー。ハンガリー人・ローズ ショッツと、日曜日になると手袋をして杖を持って歩き回るのが好きだったチェコスロバキア人のビジネスマン・マックス・メンツァーを両親に持つ彼女は、幼い頃はエスティ(Esty)と呼ばれていた。彼女が学校に入学する頃にそれがエスティ(Estée)へと変わる。皆がエスティ(Estée)と呼ぶようになり名前は定着したものの、ある情報が明かされることはなかった。それは彼女の誕生日。「私の年齢?そんなの関係ない。」とエスティが質問をはぐらかしたのは有名な話。年齢を表す数字なんて関係ない。「輝き」こそが美のエッセンスだと、彼女は信じていた。 母から受け継いだもの「私が初めて目にした“美”とは母だった」とエスティは語る。肌を柔らかくなめらかに保つために、母が毎日濃厚なクリームを顔や手に塗っていた姿がエスティの小さい頃の記憶に残っている。「手は家系図くらいその人のことを教えてくれるの。」とローズは多感な幼いエスティに教えたそう。 舞台上の宝石「女優こそ美の象徴」と考えていたエスティは、実は女優になることも考えていた。長男レナードを出産した数年後には、ニューヨークのチェリーレーン劇場の舞台に立ち、レオナードは劇場の後方の席に座って母のリハーサルを見ていたそう。しかし最終的には、女優業よりもスキンケアプロダクトを作る方が彼女の心を満たすことに。「私は自分の名前がライトに照らされるのを見たいと思っていたけれど、自分の名のついた製品を見て満足するようになった。」 若き日の恋ニューヨークのモヒガン湖で過ごした夏、エスティは「最初の恋人」であるジョセフ・ローダー(Joseph Lauter)と出会う。その後、ジョーは苗字を「Lauter」から「Lauder」へと変更した。それは父親がオーストリアからアメリカに移住した際に生じたスペルミスを訂正するためだった。2人は1930年に結婚し、すぐにマンハッタンに引っ越す。結婚式で、エスティは純白のカラユリを持ち、「世界一長い電車」と彼女が呼んだサテンのガウンを身にまとった。そして、人生で初めて口紅を塗ったのだ。(いうまでもなく、これが最後の口紅となることはなかったのだけれど!) エスティローダーの歴史は「美とは」を追求し、先見的な視点と「すべての女性は美しい」という信念をもったエスティの挑戦から始まった。舞台で自分自身が脚光を浴びるよりも、ひとりでも多くの女性が美しさを感じられる世界を目指した彼女。エスティとその夫であるジョセフは、4つのオリジナル化粧品と共に、必ず成功するという大きな夢をもって1946年に会社を創立。あらゆる意味で時代を先取りしていたエスティの、常識を打ち破り、大胆不敵かつ粘り強く物事に立ち向かうその姿勢が、現在も伝統を引き継ぐファミリービジネスの企業文化を生み出したのだ。SHOP THE STORY Re-NutrivUltimate Lift Regenerating Youth Crème 限りない美の秘密は、花の生命を活かす先進科学*1
年齢がなんだっていうの?ニューヨークで生まれたジョーゼフィーン エスター メンツァー。ハンガリー人・ローズ ショッツと、日曜日になると手袋をして杖を持って歩き回るのが好きだったチェコスロバキア人のビジネスマン・マックス・メンツァーを両親に持つ彼女は、幼い頃はエスティ(Esty)と呼ばれていた。彼女が学校に入学する頃にそれがエスティ(Estée)へと変わる。皆がエスティ(Estée)と呼ぶようになり名前は定着したものの、ある情報が明かされることはなかった。それは彼女の誕生日。「私の年齢?そんなの関係ない。」とエスティが質問をはぐらかしたのは有名な話。年齢を表す数字なんて関係ない。「輝き」こそが美のエッセンスだと、彼女は信じていた。 母から受け継いだもの「私が初めて目にした“美”とは母だった」とエスティは語る。肌を柔らかくなめらかに保つために、母が毎日濃厚なクリームを顔や手に塗っていた姿がエスティの小さい頃の記憶に残っている。「手は家系図くらいその人のことを教えてくれるの。」とローズは多感な幼いエスティに教えたそう。 舞台上の宝石「女優こそ美の象徴」と考えていたエスティは、実は女優になることも考えていた。長男レナードを出産した数年後には、ニューヨークのチェリーレーン劇場の舞台に立ち、レオナードは劇場の後方の席に座って母のリハーサルを見ていたそう。しかし最終的には、女優業よりもスキンケアプロダクトを作る方が彼女の心を満たすことに。「私は自分の名前がライトに照らされるのを見たいと思っていたけれど、自分の名のついた製品を見て満足するようになった。」 若き日の恋ニューヨークのモヒガン湖で過ごした夏、エスティは「最初の恋人」であるジョセフ・ローダー(Joseph Lauter)と出会う。その後、ジョーは苗字を「Lauter」から「Lauder」へと変更した。それは父親がオーストリアからアメリカに移住した際に生じたスペルミスを訂正するためだった。2人は1930年に結婚し、すぐにマンハッタンに引っ越す。結婚式で、エスティは純白のカラユリを持ち、「世界一長い電車」と彼女が呼んだサテンのガウンを身にまとった。そして、人生で初めて口紅を塗ったのだ。(いうまでもなく、これが最後の口紅となることはなかったのだけれど!)